「あしたのジョー」のふるさと

私が子供の頃の漫画に、「あしたのジョー」があります。

世代に共有される作品だと思います。

その主人公の矢吹丈の出身地が、ご紹介した桜鍋の中江からも近い山谷のドヤ街とされています。

 

少しその辺りも歩いてみました。

何だか、私が生まれ育った昭和の香りがします。

決して豊かではなかったけれど、日々の喜びがあった時代でした。

 

近くのいろは会商店街は、店舗数約40の決して大きくない商店街ですが、「あしたのジョーのふるさと」という垂れ幕が、春の風になびいていました。

 

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商店街のアーケードにある「あしたのジョーのふるさと」

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同じく「よお! あんたを待ってたぜ」

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いろは会商店街

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ジョーと一枚

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今では近くに東京スカイツリーが見えます

きっと矢吹丈もびっくりしていることでしょう

吉原 さくら鍋

東京の吉原にある「中江」で、さくら鍋を食べて来ました。

桜肉は馬肉ですが、これを味噌仕立てやすき焼き風にしたものが桜鍋ということになります。

 

文明開花の中、桜鍋はハイカラなグルメとして誕生しました。

当時、遊郭があった吉原には、桜鍋を売る店が二十軒以上も軒を連ねていたとのこと。

今から112年前の1905年(明治38年)創業の「中江」もその中の一軒でしたが、今も暖簾を掲げているのは「中江」だけになってしまいました。

遊郭からの朝帰りの客の昼食、夕方は遊郭へ繰り出す前の腹ごしらえ、そして深夜は遊郭帰りの夜食にと、中江は一日中賑わっていたそうです。

桜鍋は当時から滋養強壮に良いと言われていましたが、現代でもスタミナのつく料理を食べることを『馬力をつける』と言います。

これは吉原の桜鍋を食べることが語源だそうです。

 

現在の中江店舗は、1923年の関東大震災で倒壊後、翌年に再建されたもので、築94年となる大正建築です。

平成22年には、文化庁の国指定登録「有形文化財」に指定されています。

テレビの「何でも鑑定団」でも有名なようで、「谷文晁」の作と伝えられる「四季の馬」や、常連だった「武者小路実篤」が扇に書いた書などが店内に飾ってあります。

 

戦時中は、軍部の鉄不足のために鍋を物資供出で差し出さなければならなくなったことと、戦時中の食料不足で桜肉の入手が困難になったことで、やむなく桜鍋の営業を中止したことです。

昭和20年3月10日の深川・浅草を襲った「東京大空襲」では、300機を超える米軍のB29爆撃機が下町地域を襲いましたが、奇跡的に中江店舗は焼け残ったそうです。

この奇跡が無ければ、今も明治から続く雰囲気を楽しむことはできなかったでしょう。

今もメニューの中に名を残す「タロタロユッケ」の画家・岡本太郎をはじめ、ファンは多かったようです。

小説家・武者小路実篤、十一代目・市川団十郎、三代目・三遊亭金馬、作曲家・團伊玖磨、画家・東郷青児など。

九州・久留米の牧場で中江専用の桜肉を飼育してもらっているとのことで、純国産の食肉馬、6~8歳まで育てた馬、冷凍せずチルド状態で産地から直送された肉などの特別な条件がこだわりとなっています。

 

馬刺しから始まり、ユッケ、味噌仕立てのさくら鍋、それに卵を落とした〆の後ご飯・・・春のひと時、明治から続く味わいに、舌鼓を打って来ました。

 

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東京・吉原 「桜なべ中江」

GINZA SIX

東京銀座の新名所「GINZA SIX」(ギンザ シックス)が、4月20日にオープンしました。

松坂屋の銀座店跡です。

この銀座最大の商業施設には、240を超える店舗が入っています。

 

ちょっと覗いてみました。

今回は、数々のブランドショップをゆっくり見て回る時間も元気もありませんでしたが、見るだけでもきっと楽しいだろうなと思いました。

店内の飾りつけに目を奪われて、思わずシャッターを押しました。

 

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東京・銀座「GINZA SIX 」にて

繰り返す強行採決

政治に希望を託せないのが、今の日本です。

傲り、横暴、或いは忖度といった言葉が飛び交う中、諦めにも似た空気が広がっています。

 

見たくないと思ってしまってはいけないのでしょうが、見たくないものからは顔をそむけてしまうものです。

世の中にはもっと価値ある美しいものがあると思ってしまいます。

 

繰り返される強行採決は褒められたものではありませんし、見たくもない風景です。

しかし、それでも諦めずに声を上げ続けることが大事なのでしょう。

次の時代に禍根を残さないために。

 

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先週の国会議事堂。強行採決の日。

よく見ると、重苦しい雲が垂れ込めています。

京都東山 菊乃井本店

お祝いの会は、京都東山にある「菊乃井本店」にて、行われました。

京都というより日本を代表する料亭です。

 

和食の最高峰ですから味はもちろんですが、そのたたずまいに日本の美を感じました。

夜の闇に浮かぶ正面の姿やその玄関は、幻灯機に映し出されたかのようであり、日本映画のワンシーンを見ているような錯覚を覚えました。

 

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菊乃井本店 正面

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同 玄関

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同 二階

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同 室内 「深耕良獲」

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千姫の墓

知恩院には千姫の墓がありました。

なぜ、千姫の墓は知恩院にあるか?

調べてみました。

千姫は享年70歳という当時としては長命でしたが、江戸で亡くなっています。

その際の葬儀は、導師「知鑑」によって行われ、この方は知恩院37世でした。

浄土宗は徳川家(前身の松平家も)が三河の時代から帰依しており、その関係で浄土宗の総本山である京都の知恩院に分骨され宝塔に納められたようです。

なお、墓からそう遠くない所に大きな仏像の顔がありましたが、その横には千姫の大きな位牌がありました。

 

ここで改めて千姫の生涯を振り返ってみます。

千姫は二代将軍徳川秀忠とその妻お江(ごう)の方の、長女として生まれます。

母の江は、織田信長の妹であるお市の方の娘です。

母・江の姉、千姫から見れば伯母さんは、茶々、後の淀君。

豊臣秀吉の側室にして、秀頼の生母です。

千姫は7歳で、11歳だった秀頼と結婚します。

つまり母親同士が姉妹なので、従兄妹同士の結婚ということになります。

当然のことながら、徳川と豊臣との政略結婚です。

千姫19歳の時、徳川によって豊臣は滅ぼされます。大坂夏の陣で、大坂城は落ち、秀頼も淀君も亡くなります。

この時、助け出された千姫は、翌年には、本多家に嫁ぎます。

本多は徳川の三河以来の譜代。

夫・本多忠刻とともに姫路城に入り、「播磨姫君」と呼ばれます。

ここで、長女と長男を産み、長女は後に岡山の池田光政の正室となりますが、長男は3歳で亡くなります。

その後、仲の良かった夫も結核に罹り31歳で亡くなり、夫の弟が後を継いだので長女とともに本多家を出ることになります。

千姫の弟は、同じ父・秀忠の息子である三代将軍・家光ですから、その招きで江戸城に入ります。

千姫は娘が嫁いでからは、家光の側室である夏とその子・綱重と暮らすようになり、大奥でも権力を持つようになります。

なお、夫・本多忠刻が亡くなったのは大坂城が落ちたのと同じ日でした。

豊臣秀頼の祟りとも言われています。

 

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知恩院にある千姫の墓

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知恩院

京都 知恩院

少し前のことですが、春まだ浅き頃、京都を訪れました。

お祝いの会のための1泊2日の短い旅でしたが、思い出に残るものとなりました。

 

宿は立地がよく便利な所をということで、知恩院の宿坊に取りました。

宿坊と言っても、最近建築された使い勝手の良いなかなか立派な施設でした。

国宝である知恩院の三門と向き合う形で建てられています。

なお、知恩院の場合は「山門」ではなく、「三門」と書きます。

これは、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門:さんげだつもん)を意味しているそうです。

この三門は、1621年に徳川二代将軍秀忠の命を受け建立されました。

高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚という大きな門です。

わが国現存の木造建築として最大級の二重門とのこと。

外に掲げられている「華頂山」の額の大きさは、畳二枚以上にもなります。

 

知恩院は、浄土宗 の開祖・法然上人によって、開かれたと言われますが、その地位が確立したのは、室町時代の後期とされています。

また、知恩院の建物が拡充したのは、徳川時代になってからのことであり、徳川家は古くから浄土宗に帰依していたそうです。

そのため、家康は生母伝通院(でんつういん)が亡くなると知恩院で弔い、また亡母菩提のため寺域を拡張し、ほぼ現在の境内地にまで広げたということです。

 

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ライトアップされた「国宝」知恩院の三門

「未来よ こんにちは」

この週末に、「シネマテークたかさき」に出かけました。

群馬において、興行的な成功が見込まれるものだけでない映画を上映してくれる貴重な映画館です。

 

映画は「未来よ こんにちは」。

フランス映画です。

原題は「L’avenir」(将来、未来)。

以下は、公式サイトから引用します。

「パリの高校で哲学を教えているナタリーは、教師の夫と独立している二人の子供がいる。
年老いた母親の面倒をみながらも充実していた日々。ところがバカンスシーズンを前にして突然、夫から離婚を告げられ、母は他界、仕事も時代の波に乗りきれずと、気づけばおひとり様となっていたナタリー。
まさかというくらいに、次々と起こる想定外の出来事。だがナタリーは、うろたえても立ち止まりはしない。「孤独」や「時」は残酷であるけれど、そうまんざら悪いことばかりでもない。孤独は自由を手に入れることであり、自分のための時間が増えることでもある。まだまだ輝く未来が必ずある、そう信じるナタリーの姿は、今を生きる私たちのエイジングへの“怖れ”を吹き飛ばしてくれるに違いない。 」

まとめればこうなるのかもしれませんが、実際にはナタリーの心情を伺わせる細やかな描写が随所に溢れています。

老いた母親との、一種スリリングな会話も見事です。

母親が飼っていた黒猫も登場しますが、ナタリーの心も写してくれる大事な役割を果たしています。

日常もきちんと描かれ、じっくりと観るに値する映画です。

私は好きでした。

 

監督・脚本は、 ミア・ハンセン=ラブ。

パリ生まれの、何と36歳の女性!

才能は年齢ではありません。

この『未来よ こんにちは』はベルリン国際映画祭にて銀熊(監督)賞を受賞しています。

主役の女優をはじめ、役者も素晴らしいです。

 

「シネマテークたかさき」の方は、結構、人が入っていたので嬉しかったのですが、そのほとんどは女性でした。

休日ですから、仕事をしている男性が来ることができない日時ではありません。

主人公が50代の女性という設定の映画ということもあるかもしれませんが、アンテナが高く、感性豊かで、自分なりの生き方を真剣に模索しているのは、女性だと思います。

 

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ブログ毎日掲載1,000日

ブログを毎日書くことにして、今日でちょうど1,000回となりました。

よく続いたと思いますが、書くこと自体は何より己のためだと思っています。

結構、お読みいただいている方もいらっしゃって、時折、声をかけていただきます。

思わぬ方からの反響に、驚かされることもあります。

特にふだんは地元群馬の方にご無沙汰していることが多いため、私の近況を知っていただく貴重な手段となっています。

 

連続1,000日のこの機会に、改めて心から感謝申し上げます。

 

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群馬県立館林美術館にて

母の日

昨日は、母の日。

子供からカーネーションの花束が届きました。

私の母には、好きな果物を贈りました。

 

日本では5月の第2日曜が母の日となっていますが、世界では必ずしもそうでないようです。

例えば、フランスは5月ではありますが最終日曜、スペインやポルトガルは同じ5月の第1日曜です。

国によっては、2月や12月の所もあります。

 

日本の母の日は、アメリカに起源があります。

アメリカでは、今からおよそ100年前の1914年に、5月第2日曜が母の日となっています。

 

所変われど、母を思う気持ちは、世界共通なのでしょう。

 

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