天皇陛下の思い

少し時間を置いて、今月8日の天皇陛下のお言葉を読み返してみました。

「象徴としてのお務めについてのお言葉」は、式典等での儀礼的な挨拶文とは異なり、全国民に向けた陛下からの直接的なメッセージです。

それだけに陛下の人間としての体温を感じることができます。

 

生前退位のご意向については事前に報道がされていましたが、陛下がどのように自らのお気持ちを表されるのかに関心がありました。

そのお言葉に最初に接した時から、一つ一つのお言葉が配慮に満ちていると感じました。

今、読み返してみて、改めてそう思います。

 

生前退位に伴う政治的課題は別にして、何よりも「高齢社会における身の処し方」について多くの示唆を含んでいます。

誰もが老いを迎えます。

むしろ老いを迎えることができるまで、生きることができたことは喜ぶべきことです。

しかし、その先には病があり、さらにその先には死が待っています。

その事実と真正面から向き合うとともに、自らの終い方に思いを致すことの大切さを陛下のお言葉から感じます。

自らが病に見舞われ死が近づくのを感じる中、その影響に思いを馳せることは、特に責任ある立場にある者の務めです。

陛下のお言葉に、私は責任ある者のあるべき姿を見ることができるのです。

生老病死の病や死によってもたらされる混乱を如何に避けることができるか。

生涯の最期まで責任ある地位にあることは、恥ずべきことと言っても決して過言ではないと考えます。

陛下は人間として尊敬できる方だとつくづく感じました。

 

陛下のお言葉の中に、「皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は」とあります。

「皇后と共に行って来た」というところに陛下の愛情と誇りを感じます。

喜びも悲しみも共にされるお二人の仲睦まじいお姿は、いつも我々の心に温かいものを与えてくれました。

人間が助け合うことの基本、それが夫婦であり、その夫婦が家族の原点であることを教えてくれたと思います。

天皇陛下の傍らに、常に寄り添う皇后陛下。

今回のお言葉の収録に当たっても、天皇陛下の求めに応じて皇后陛下は立ち会われたそうです。

 

今回の国民への明確なメッセージの発出は、常に国民とともにありたいと言う天皇陛下らしい方法だと思います。

その一方で、陛下のお気持ちを慮って(おもんばかって)動くべき立場にある者が結局動いて差し上げなかったということも併せて感じました。

 

最後に、今回のお言葉を政治的文脈で読むと、現政治体制が動こうとしている方向に対するアンチテーゼとなっていると考えます。

憲法改正よりも大事なことがある、と自分には読めるのです。

これまでの陛下の言動と併せ考えると、特にその思いは強いものがあります。

天皇陛下が老いの中にあっても皇后陛下と共に慰霊の旅を続けられるお姿は、それ自体が平和を希求する大きなメッセージとなっています。

戦前の教訓から憲法上、天皇と政治は一線を画すこととされましたが、敗戦から70年過ぎた今、現在の政治及び政治家の体たらくは別の所に希望を託すしかないとすら思わせるものがあります。

 

「象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉

平成28年8月8日

戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。
私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを、切に願っています。」

 

Message from His Majesty The Emperor
August 8, 2016
A major milestone year marking the 70th anniversary of the end of World War II has passed, and in two years we will be welcoming the 30th year of Heisei.

As I am now more than 80 years old and there are times when I feel various constraints such as in my physical fitness, in the last few years I have started to reflect on my years as the Emperor, and contemplate on my role and my duties as the Emperor in the days to come.

As we are in the midst of a rapidly aging society, I would like to talk to you today about what would be a desirable role of the Emperor in a time when the Emperor, too, becomes advanced in age. While, being in the position of the Emperor, I must refrain from making any specific comments on the existing Imperial system, I would like to tell you what I, as an individual, have been thinking about.

Ever since my accession to the throne, I have carried out the acts of the Emperor in matters of state, and at the same time I have spent my days searching for and contemplating on what is the desirable role of the Emperor, who is designated to be the symbol of the State by the Constitution of Japan. As one who has inherited a long tradition, I have always felt a deep sense of responsibility to protect this tradition. At the same time, in a nation and in a world which are constantly changing, I have continued to think to this day about how the Japanese Imperial Family can put its traditions to good use in the present age and be an active and inherent part of society, responding to the expectations of the people.

It was some years ago, after my two surgeries that I began to feel a decline in my fitness level because of my advancing age, and I started to think about the pending future, how I should conduct myself should it become difficult for me to carry out my heavy duties in the way I have been doing, and what would be best for the country, for the people, and also for the Imperial Family members who will follow after me. I am already 80 years old, and fortunately I am now in good health. However, when I consider that my fitness level is gradually declining, I am worried that it may become difficult for me to carry out my duties as the symbol of the State with my whole being as I have done until now.

I ascended to the throne approximately 28 years ago, and during these years, I have spent my days together with the people of Japan, sharing much of the joys as well as the sorrows that have happened in our country. I have considered that the first and foremost duty of the Emperor is to pray for peace and happiness of all the people. At the same time, I also believe that in some cases it is essential to stand by the people, listen to their voices, and be close to them in their thoughts. In order to carry out the duties of the Emperor as the symbol of the State and as a symbol of the unity of the people, the Emperor needs to seek from the people their understanding on the role of the symbol of the State. I think that likewise, there is need for the Emperor to have a deep awareness of his own role as the Emperor, deep understanding of the people, and willingness to nurture within himself the awareness of being with the people. In this regard, I have felt that my travels to various places throughout Japan, in particular, to remote places and islands, are important acts of the Emperor as the symbol of the State and I have carried them out in that spirit. In my travels throughout the country, which I have made together with the Empress, including the time when I was Crown Prince, I was made aware that wherever I went there were thousands of citizens who love their local community and with quiet dedication continue to support their community. With this awareness I was able to carry out the most important duties of the Emperor, to always think of the people and pray for the people, with deep respect and love for the people. That, I feel, has been a great blessing.

In coping with the aging of the Emperor, I think it is not possible to continue reducing perpetually the Emperor’s acts in matters of state and his duties as the symbol of the State. A Regency may be established to act in the place of the Emperor when the Emperor cannot fulfill his duties for reasons such as he is not yet of age or he is seriously ill. Even in such cases, however, it does not change the fact that the Emperor continues to be the Emperor till the end of his life, even though he is unable to fully carry out his duties as the Emperor.

When the Emperor has ill health and his condition becomes serious, I am concerned that, as we have seen in the past, society comes to a standstill and people’s lives are impacted in various ways. The practice in the Imperial Family has been that the death of the Emperor called for events of heavy mourning, continuing every day for two months, followed by funeral events which continue for one year. These various events occur simultaneously with events related to the new era, placing a very heavy strain on those involved in the events, in particular, the family left behind. It occurs to me from time to time to wonder whether it is possible to prevent such a situation.

As I said in the beginning, under the Constitution, the Emperor does not have powers related to government. Even under such circumstances, it is my hope that by thoroughly reflecting on our country’s long history of emperors, the Imperial Family can continue to be with the people at all times and can work together with the people to build the future of our country, and that the duties of the Emperor as the symbol of the State can continue steadily without a break. With this earnest wish, I have decided to make my thoughts known.

I sincerely hope for your understanding.

群馬の夏祭り

昨夜のカープの勝利の意味は大きいですね。

それはジャイアンツのエース・菅野を打ち崩したからです。

先制されムードは悪くなりながらも、ピッチャー・福井が踏ん張る中、打線は実力で相手エースを攻略しました。

これでマジック20が点灯。

クライマックス・シリーズも視野に入れながら、栄光へ向かって着実に進んで行って欲しいと思います。

 

さて先日、ある法人が主催する群馬の夏祭りにご招待いただきました。

激しく降っていた雨も、開会前にはすっかり上がりました。

たくさんの人がつめかけ、地域の方々に愛されていることがよくわかります。

 

地域の方々も出し物に参加され、楽しそうです。

その一つに、上武大学の吹奏楽があります。

よく知られている曲を何曲か披露していただきました。

フルート、クラリネット、サックス(アルトとバリトン)、チューバ、トロンボーン、トランペット、そしてドラム。

アンサンブルはいいですね。

このところ埃をかぶっているサックスにも、久しぶりに触りたくなりました。

 

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今年も呑石書法展

今年も恒例の呑石書法展の季節がやって来ました。

私も末席を汚させていただいて、かなりの年月となりました。

いつもの前橋市民文化会館が使えず、今年は前橋のノイエス朝日が会場です。

 

毎年、まず何を書こうかと悩みます。

最近は陽明学の言葉を書くことが多かったのですが、今年は趣向を変えて、小椋佳の歌詞の一節にしたところです。

漢字だけでなく平仮名も入るので苦労もしましたが、何とか仕上げました。

 

「誰のようにも生きられず   誰のようにと生きもせず」

展示会用のキャプションとしては、次のように付けました。

小椋佳作詞の歌「孤高の鷹」の一節です。

小椋佳の歌は高校生の頃から聞いていますが、この歌も随分前に耳にしました。

誰のようにも生きることはできないという事実と、誰のようにと生きることはしないという真実。その潔さに強く魅かれるものがあります。」

 

期間は明後日8月26日(金)から28日(日)までの3日間です。

楽しい作品でいっぱいです。

どうぞお出かけください。

 

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台風9号

東日本を縦断した台風9号は、首都圏を直撃しました。

被害に遭われた方に、お見舞いを申し上げます。

 

昨日月曜の朝、既に荒れ模様の天気で少し不安を感じながら、群馬から東京に向かいました。

有り難いことに、高崎からの新幹線は定刻通りに運行していました。

日本の優秀な新幹線に感謝です。

帰りもちゃんと動いていました。

 

台風は夏を連れ去り、秋を連れて来ます。

そう言えば、庭の虫の音もすっかり秋の気配。

見上げれば、空に浮かぶ雲も、夏仕様から秋モードへ。

前橋のきれいな夕焼けを眺めながら、季節の移ろいに思いを馳せました。

映画「かもめ食堂」

片桐はいりさんのエッセイに出て来る映画「かもめ食堂」は、不思議に心に残る映画でした。

ご覧になった方も多いと思います。

 

2006年の公開ですから、もう10年になるのですね。

フィンランドのヘルシンキを舞台に、日本人女性の経営する日本食堂に集う面々が描かれています。

監督・脚本は荻上直子。

原作は群ようこ。

俳優陣もほとんど女性ですから、女性の手になる映画と言ってよいでしょう。

ただ音楽は、井上陽水の「クレイジーラブ」が使われています。

 

ヘルシンキも行ってみたい街だなと思います。

片桐はいり「わたしのマトカ」

片桐はいりさんは独特の存在感を放つ方で、気になる女優さんです。

舞台、映画、テレビで活躍されています。

登場すると何かをやってくれるんじゃないかという期待感を抱かせますが、ご本人もこれは一体何だろうという一種のサプライズをもたらすことを目指しておられるようです。

 

その筆になる旅行記が、この「わたしのマトカ」。

マトカとはフィンランド語で旅という意味だそうです。

「かもめ食堂」という映画でフィンランドロケが行われ、その時の体験と帰国してからの思いをまとめたエッセイです。

 

飾らない等身大の著者の姿は、とても好感を覚えます。

一緒にフィンランドを旅しているような気になるから不思議です。

 

私もこのブログを書くときに、思ったことをそのまま綴るようにしています。

たとえテーマが政治であっても、政治家がよくやるような政治的配慮の行き届いたいわゆる「政治的発言」などしないで、思いをそのまま書くようにしています。

そこからでないと、いつまでたっても欺瞞に満ちた政治は変わらないと考えているからです。

 

いずれにしても、面白いエッセイでおススメです。

次のような一節もあります。

「町にはそれぞれのリズムがある。フィンランドの町には、アジアの雑踏にはない、独特の余裕があった。」

「ささいな理不尽にいちいち目くじらを立てて、小さな復讐をくりかえすよりも、もっと上等な武器を手に入れたような気がした。余裕、という武器。思えば今まで、なんて前のめりに暮らしていたものか。都会で生きてくストレスなんて、この武器を使えば、ほとんど取るに足らないものなのかもしれない。」

 

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よさこいソーラン

旭川から車を走らせ、大雪山層雲峡に向かい、そこの温泉で宿をとりました。

翌朝、ロープウェイに乗ったのですが、上の方は残念ながら霧の中に隠れていました。

 

層雲峡の朝陽亭では、夜、スタッフが「よさこいソーラン」の踊りを披露してくれました。

鳴子を持ってリズミカルに激しく踊る姿から、元気をもらいました。

 

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三浦綾子記念文学館

旭川市内にある三浦綾子記念文学館は、森の中にありました。

国有林のすぐそばという絶好のロケーションです。

自然の中で静かな時間が流れます。

 

この文学館が、多くの有志の方々によって支えられていることもわかりました。

その点でも三浦綾子さんらしいなと思いました。

ひととき、三浦さんの人生と作品に思いを馳せることができました。

 

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旭川ラーメン

旭川の駅前はきれいに整備されています。

堂々の玄関口と言っていいでしょう。

 

そこから歩いて5分の所に、旭川ラーメンの老舗「青葉」があります。

戦後間もない1947年(昭和22年)に屋台から始め、その頃から化学調味料を使わないスープを採用しているとのことです。

とんこつ、鶏ガラ、利尻昆布、かつお節、煮干し、野菜でとった奥深いスープと醤油の香りが、いやがおうにも食欲をそそります。

細めの縮れ麺がスープとよく絡まり、量もちょうどよいくらいでした。

スープにはラードを入れるのが特徴で、冬の寒さが厳しい旭川で、スープを冷めにくくさせるために使用したと言われています。

したがって、食べ始めはやけどに要注意です。

 

この他にも、旭川には街のあちこちにラーメン店があります。

ラーメン好きにはたまらないでしょうね。

ちなみに北海道には三大ラーメンなるものがあるそうで、札幌、函館、そして旭川だそうです。

 

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目にも鮮やかな「らうめん青葉」の暖簾です。

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JR旭川の駅舎。

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よく整備された旭川の駅前。

旭川・珈琲亭ちろる 三浦綾子「氷点」

旭川市内を歩いていると、大通りから少し入った所に、ちょっと気になる喫茶店がありました。

気ままな旅でもあり、その醸し出す雰囲気につられて扉を開けました。

 

それが「珈琲亭ちろる」です。

店内は落ち着いた調度品に囲まれています。

香り高いコーヒーに包まれた珈琲専門店。

裏庭もあって、ドアを開けて出てみると、先ほどまで降っていた雨に濡れた緑がありました。

 

聞けばこの店は、旭川出身の作家である故・三浦綾子さんの名作「氷点」の舞台ともなった所だそうです。

偶然入った店とは言え、なるほど、と思わせてくれる魅力があります。

時の経過の中で、この中では作品が今も息づいていると感じました。

 

触発され、市内の離れたところにある三浦綾子記念文学館まで足を伸ばして来ました。

 

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